しがNPOセンター
代表理事 阿部 圭宏
2024年の始まりとともに巨大地震が能登を襲った。最大震度7弱というとてつもない地震の被害は能登半島を中心に広がっている。
正月に起こったからというわけでもないだろうが、誰しもが政府や自治体の動きが遅く感じられたのではないだろうか。孤立集落が多く点在し、石川県知事が19日の記者会見で実質的に解消したという認識を示したと伝えられているが、ようやくという間は否めない。
今や災害救援に欠かせない自衛隊は、当初1,000人派遣と伝えられ、徐々に増やされて、10日までに6,300人、1月26日の防衛大臣記者会見では14,000人態勢に増強しているとのことである。数字だけを見れば、本震の翌日に24,000人態勢を構築した2016年の熊本地震や、最大で10万人規模を投入した2011年の東日本大震災に比べると、極端に少ない。
能登の特殊事情もあるようだ。半島ということでの道路の立地条件等により、一旦、道路が寸断されてしまうと代替ルートの確保が難しい。孤立集落が多く発生したのもそうした事情があることは否定できない。
(筆者撮影 大津市にて)
では、東日本大震災はどうだったのか。緊急に救命・救急ルートを確保するための「道路啓開(けいかい)」が行われた。国土交通省東北地方整備局の災害対策室には、幹部や職員が続々と集結し、道路関係事務所や出張所と連絡を取り、被害の確認と対策の立案を急いだ。「くしの歯作戦」と呼ばれた対策は、内陸部を南北に貫く東北自動車道と国道4号から、「くしの歯」のように沿岸部に伸びる何本もの国道を、救命・救援ルート確保に向けて切り開いたという。
能登の場合は、残念なことに道路啓開計画が策定されていなかったことが明らかになった。1月24日の参議院予算委員会で、国交大臣は、首都直下地震や南海トラフ巨大地震などが想定されるところで道路啓開計画を策定してきたが、北陸地方整備局管内は内部検討にとどまっていた、と答えた。
(筆者撮影 富士山)
1月25日午前7時時点では、主要な幹線道路の約9割の啓開を終わったというが、啓開計画があれば状況は変わっていたと思われる。昨年5月の珠洲市で最大震度6強を観測した地震など、能登半島で活発していた群発地震からも、もっと危機感を持って様々な対応をしていく必要があったのではないだろうか。たとえ計画がなくても、対応する方法はあったはずだ。
総理大臣をはじめ、永田町も霞ヶ関も、初動体制がまずかったし、緩みや危機感のなさを改めて露呈した。志賀原発、大阪万博のことも書きたかったが、最後にボランティアのことに少し触れておきたい。
ボランティアの受け入れもなかなか進んでいない。そこには石川県の特殊な事情があるようだ。ボランティア登録はされているが、実際に活動できる自治体は七尾市、穴水町、志賀町(1月31日現在)だけで、やっと受け入れが始まった。避難所運営、炊き出し、家の片付けなど、やるべきことはたくさんある。復興の道のりは長い。現地へ行けない人も義援金(被災者に届けられる)、支援金(現地で活動するNPO等を支援する)で応援する方法もある。多くの方が自分のことと思って、できることをしてほしい。
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