しがNPOセンター
代表理事 阿部 圭宏
新型コロナはなかなか収束に向かう気配はない。ここしばらくは、コロナと付き合っていく生活というものを定着していくほかないように思われる。
コロナ対応の一連の流れを見ていると、2000年以降に国や地方で進められてきた行政改革の流れが大きく影響している。例えば、保健所はPCR検査の有無の判断、検査機関への振り分け、陽性者への対応、感染経路の調査などの多くの業務を担っているが、業務が事務処理能力を大きく上回ってしまった。一度にたくさんのことをしなければならないことも大きな理由だが、これに加えて、行政改革の流れの中で行われてきた保健所の統廃合や職員数の削減にも原因がある。
こうした行政改革では、「ムダ」をなくし、効率的に物事を進めることが大切だとされてきた。予算のカットに始まり、事業見直し、人員削減も大々的に行われてきた。民間活力の名のもとに、指定管理者制度の導入による公共施設の管理運営も広く行われるようになり、経費削減を前面に出すことによって、本来担うべき公共施設の役割が片隅に置かれてしまっているケースも散見される。
2021年4月オープンのKirarieの中にある
草津市市民総合交流センター(撮影著者)
ムダをなくす動きは、何も行政に限った話ではない。企業は競争に勝ち抜くために経営合理化に邁進し、もはや労働者はかつての資本主義の勃興期のように労働を搾取されるだけの存在となってしまっている。派遣労働や裁量労働など、労働法制の枠外での動きが、労働者を保護する仕組みの崩壊をもたらしている。効率化や成果だけを求められる職場環境はギスギスしたものになり労働者を疲弊させる。かつてのように余剰人員を少なからず抱えることができれば、仕事に余裕をもたらし、よい職場環境をつくることが人間性を豊かにしてくれるはずだ。
ムダを一方的にマイナスのイメージで捉えると、余剰人員を抱えるというのはダメという評価になるが、職場環境を豊かにしているというプラス面も評価する必要があるのではないだろうか。ムダをなくすために行政改革の中で本来やるべきことがカットされてきたことも、社会を疲弊させている大きな要因なので、これを見直し積極的に予算を組み込んでいくことも必要なことである。
無駄口、無駄話、無駄骨、無駄飯など、ムダで始まる言葉は多くあり、いずれも悪い意味で使われるが、ムダにはぎくしゃくしている様々な人間関係をときほぐしたり、社会生活を豊かにする役割があるという点をもっと積極的に評価できるようになればと思われる。
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